2007年04月21日
僕もピストルを。。。
最近あいついで、銃による犯罪が起きていますが、実は僕は母校のアメリカの大学の「ピストルクラブ」に半年間入っていたのです。
大学には陸軍の下士官養成コースがあり、米軍の補助金で建設された射撃場があったからです。
それにお金もそんなにかからなかったし、日本では経験できないと考え入部したのです。
当然ピストルは大学の所有物です。
週に3回、片手撃ちの練習に励みましたが、なかなかうまく的にあたらなくて上達しませんでした。
鼓膜の破れるのをふせぐため耳に防音装置をつけながらの射撃は快感でしたが、時間的に余裕がなかったこともあり、半年後に退部しました。
「ピストルクラブ」と併行して「ライフルクラブ」もあり、おおがらな女性も数人所属していました。
当時、現地では留学生でも銃やドラッグが簡単に手に入りました。
実際、日本の大手建設会社を休職して、同じ大学で学んでいた友人は150ドルで購入したピストルを僕に自慢げにみせてました。
日本に持って帰りたいと言ってましたが。。。
3年前に訪れた時の写真を紹介します。


大学の射撃場

今卒業アルバムを手にっとってみると、僕の名前は「Harta Takaski」となってます。
大学には陸軍の下士官養成コースがあり、米軍の補助金で建設された射撃場があったからです。
それにお金もそんなにかからなかったし、日本では経験できないと考え入部したのです。
当然ピストルは大学の所有物です。
週に3回、片手撃ちの練習に励みましたが、なかなかうまく的にあたらなくて上達しませんでした。
鼓膜の破れるのをふせぐため耳に防音装置をつけながらの射撃は快感でしたが、時間的に余裕がなかったこともあり、半年後に退部しました。
「ピストルクラブ」と併行して「ライフルクラブ」もあり、おおがらな女性も数人所属していました。
当時、現地では留学生でも銃やドラッグが簡単に手に入りました。
実際、日本の大手建設会社を休職して、同じ大学で学んでいた友人は150ドルで購入したピストルを僕に自慢げにみせてました。
日本に持って帰りたいと言ってましたが。。。
3年前に訪れた時の写真を紹介します。
大学の射撃場
今卒業アルバムを手にっとってみると、僕の名前は「Harta Takaski」となってます。
Posted by gamecocks at 19:02│Comments(0)